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管理人:sarilin
出身・在住⇒滋賀県大津市
生年月日 ⇒1970年12月
血液型  ⇒O型
職業   ⇒キャディ
わけあって、シングルママになりました。息子と二人で忙しい毎日を送っています。性格はいたって明るい、しかし大きいことには動じないが小さいことに大きくびびります。物事は形からのわりに何でも適当!
だけど、どうでもいいことには細かい。育児もとにかく楽がしたい(笑)寝るのと、食べるのと、Mr.Childrenが大好き。

息子:かーくん
出身・在住⇒神戸市・滋賀県大津市
生年月日 ⇒2004年8月
血液型  ⇒A型
職業   ⇒小学生
好きな物 ⇒玉子焼き、ミカン、ポケモン、サッカー
嫌いな物 ⇒豆、キノコ、丸坊主、耳かき
将来の夢 ⇒学校の先生
生後1ヶ月のとき川崎病で生死の境を2日間さまよいましたが、今ではとても元気。先天性の眼振がありますがそんなこと気にもさせないほどのやんちゃぶり。

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『闘病記録』私のお母さん

今日は、特に変わった事もなかったので・・・HPの方でもまだ手付かずで書き出すと長くなって挫折しそうな領域にふれてみる事にします(笑)不定期更新とさせていただきます(*_ _)人
重い話なのですが・・・なるべく笑いも入れながら書いていきたいと思います(無理じゃないかな?)私の母の事です。
母は、28歳でど田舎の実家に嫁いできて1年後に私を生みその翌年に弟を出産。なくなるまでを不便な田舎ですごしてきました。
子供が好きで父と折り合いが悪くて喧嘩して出て行った弟の子供を父に隠れて合いに行ってはとてもかわいがっていました。
実家には、祖母・父・母の3人で暮らしていました。
 
私の母は、かーくんがお腹にやどる1ヵ月半前に1年半の長い闘病生活の末亡くなりました。腎ガンでした。
2002年4月腰の痛みでそれは始まりました。
普段から腰痛持ちだった母はいつもの事と我慢していたそうです。
しかし、あまりの痛さに絶えられず町の総合病院で検査をしてもらいました。
レントゲン、CT、血液、尿検査など一通り検査し結果すぐに入院した方がいいと言われびっくりしておばに相談したそうです。
自分でも納得いくこたえがほしかったのだと思います。
そこで、この後お世話になる事になる日本でも有名なS病院で(セカンドオピニオン)もう一度検査をしてもらう事にしました。
検査結果が出る日母は何か察していたのか父に付いて来てもらったそうです。
レントゲンが上手く取れていないからもう一度行って来てくださいと言われ母と看護士さんでレントゲン室へ向かったとき父は診察室に呼ばれたそうです。
後から聞きましたがこの時父はほとんど何を話されたか理解できないくらい動揺したそうです。
検査結果は、予想以上の状況でした。
腎臓に腫瘍。腎臓から肝臓、リンパ節、静脈、肺にまで転移していて何時どうなってもおかしくない状況。父はかろうじで「後どれくらい生きれますか?」と質問したそうですが・・・「残念ですが何年、何ヶ月とか言う時限ではないです。明日、あさってでもおかしくないですよ」
「とにかく、家族で話し合って告知するかどうか決めてください。入院してもらって詳しく検査して出来る事をさせていただきます」といわれたそうです。
普通はこういう時ってガンと戦うとか言いますよね。でも母の場合は違いました。後ほどこのことが何を意味するかはふれるとして、まあ表現するなら「母とガンとの共存」とでも言うべきでしょう。
 
この数日後に、神戸の私のところへ電話がありました。
「元気にしてるか?お母さん入院しなあかんことになったわ。」
何も知らない私は少し話して「またそのときは行くからな。」
と電話を切りました。切ったと同時に伯母からの電話でガンである事を聞かされました。
結局、すぐに入院はせずに検査だけしてゴルデンウィーク開けの検査結果次第でどうするか考えるという事としんどくなったらすぐに入院するという事で話は出来ていました。
がしかし、忘れもしません2002年5月5日(母の誕生日)母から電話があり
「しんどいから、明日病院に行きたい」その日はタマタマ早番で帰っていたのですぐに準備して仕事場に連絡して取り合えす1週間の休みをもらいました。そして一路滋賀へ急ぎ実家に着いたのは夜でした。
きっと、即入院になるだろうと思い母には、上手くごまかして「一応入院のセットつくっとこ、もし入院になったらとどこに何があるかわからんし」といって一式そろえました。が車に積んでおくという私に「そんな大げさないらんて。」と聞かないので仕方なくセットはつまずに玄関に置きました。
深夜にこそこそ外へ出て伯母に連絡しもし入院になったら荷物を取りに帰らなければいけないから同行してもらうよう頼みました。
翌日、診察してもらってそのまま入院となりました。
先生から母には「腎臓の調子が悪いので検査もかねて1週間程度入院しましょう検査の結果次第で手術するか薬で治すか決めましょう」と説明があり病棟へは伯母に付き添ってもらい私は荷物をとりに帰りました。父に連絡して入院を伝えて祖母にどう説明するか聞くと「お前から言ってくれ」え~!車を飛ばして家に着きました。庭で草むしりをしている祖母を見てなんといったら言いか・・・めんどくさい事が嫌いな私はダイレクト!直球で行く事を心に決めました。
祖母は、車に母が乗っていないことに気がつき肩を落としていました。
車を降りると開口一番
「おかちゃんは?(母は?)」
私は深呼吸して「入院するよ」その言葉が終わるか終わらないか位に玄関の方へ歩いていき脇にあった石に腰掛けて泣き出しました。
「なんでや・・・なんでや・・・そんなわるかったんか・・・」
と・・・・。
私は、それでも冷静だったと思います。
「おばあちゃん、検査するだけやし1週間で帰ってくるから、なくな!!!(笑)」といつもの冗談口調で「大人やろ!なくほどのことか!(笑)」と笑い飛ばして荷物を持って家を出ました。
一人にするのがちょっと怖かったので、父に連絡して家に帰るように頼みました。
祖母は、車が見えなくなるまで家の前の坂で手を合わせて見送っていました。
 
 
年寄りにはきつすぎたのでしょうね~。   つづく
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